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酉にこだわる
「年男放談」の原稿を依頼され、年の経つのが速いことに驚いている次第です。しかも、私が年男の最高年齢とは?あわてて入会してからの年月を調べたら明治42年生まれの畔柳政栄さんの次の2番目です。ますます信じられない気持ちです。
生まれた年がたまたま酉年と云うだけで、あまり干支を意識したことはありませんが、このごろは何故か鶏肉が好物になってまいりました。鶏肉と言えばどれでも一緒と以前は思っていたのですが、年齢のせいで(牛肉が口に合わなくなり)鶏肉の種類と部位にこだわりを持つようになりました。全国には実に各地に多種多様な地鶏がおります。
又、鶏肉を食べさせる料理法も多種多様です。中部地方にはダントツ「名古屋コーチン」に知名度があります。特徴は肉に歯ごたえがあり、赤みがかり、味に深みがある、卵は桜色で、料理法としては鍋(水炊き)が一番だと思います。これからも益々鶏をおいしく食べる事を追求していくつもりです。
私が子供の時は戦時中で家庭でも当時貴重品であった卵を生ませるためと肉を食べるために数羽の鶏をかっておりました。大切に飼っていた鶏を鶏舎の外からイタチにトンネルを掘って襲われ一夜にして全滅し、悔し涙を流したことは今もって飼育されている鶏を見るたびに思い出します。
願わくは、頭も身体も健康で長生きをし、世間から「モウ(妻の干支)、コケッコウ」と言われるまでは生きてみたいと思います。
年男放談
明けましておめでとうございます。
とうとう今年で60才、還暦の年を迎えました。40才50才の節目の年に感じた以上に、肩に重く感じるのは私だけでしょうか?
この60年間の私の年表を振り返ってみると、1957年(12才)は、毎日々々野球と魚釣りに明け暮れておりました。1969年(24才)は大学をなんとか卒業し、入社した会社が倒産、仕方なく、村井建設に入社してしまいました。1981年(36才)は長い闘病生活からやっと脱出。社会復帰しました。娘は知らない内に小学校一年生でした。1993年(48才)は1987年に入会させていただいた岡崎ロータリークラブで、蜂須賀親睦委員長の下で、苦労(?)してました。ちなみに当時の親睦委員会のメンバーでは奥瀬さん、古澤さん、嶋田先生が残ってみえます。そして2005年(60才)ははたしてどんな年になるのでしょうか。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
年男放談
新年明けましておめでとうございます。
48才にもなると身体的な衰えは仕方がないと思う中、一つ嬉しいことがありました。それはメガネです。老眼が入ってしまいメガネを遠近両用に替えようと検査をしてもらったところ、まだ遠近は早いといわれ中近両用にしました。自分が感じているほど衰えていないことが分かり、かってに喜んでおります。
4回目の年男を迎え、いろいろと振り返りましたら、浮かんでくることが一に仕事、二に仕事、三に家族と私事しか浮かんでこず、又、それを振り返ると、忙しい、時間がないなどと言い訳ばかりで、これらが最初に浮かんできたことに対して大いに反省をしてしまいました。そこで、私の今年の目標として、「忙しい」「時間がない」という言葉は封印して、ゆとりを持ち邁進していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
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