|
|
「芝蘭会」のそもそもの始まりは、今から17年前に遡る。入会して3年目に始めて平成元年〜平成2年度の委員長(ローターアクト委員会)を仰せつかりました。早速第一回の委員会をやることになり、7月の梅雨明けにノミニケーションを図るべく名鉄岡崎ホテルの屋上ビアガーデンに委員会メンバー全員が馳せ参じた。この時のチャーターメンバーが現会長黒河陽さん・前幹事服部良男さん・元幹事櫻井二三夫さん・日本生命岡崎支社長牧野秀樹さん・名鉄岡崎タクシー社長林久良さん・それに私の6人であります。この時大いに盛り上がり、今後も毎月やろうということに即決定。この時真っ先に手をあげたのは、現会長黒河陽さんでありました。その後、新年会のある1月を除いて毎月実施。年が明けての春に牧野さんが栄転され札幌に北海道副支社長として赴任され、この6月にローターアクト委員会の打ち上げとして、函館に一泊二日で行きました。
年度が変わり私は再び委員長(青少年奉仕委員会)を仰せつかり、この年度もほとんど毎月ノミニケーションを行いました。この時、一滴も飲まない下戸の元幹事村井さんが自分の所属する委員会の人数が少なく淋しいから仲間に入れてくれといって入ってきました。会を重ねるごとに他の委員会の人たちが1名加わり2名加わりして参加者数が段々と増えてきました。そこで、「岡崎ロータリーの名前を使ってFAXして欲しい。そうすればこの会に出やすい」と言う声があがり、その後、「岡崎ロータリークラブ合同委員会」と言う名称で案内を出すようになりました。これは全部私が段取りをしてFAX送信しました(私が幹事をやった年度からは事務局の林さんに内緒でFAX送信をしてもらうようにしました)。 そして、村井さんのように下戸でも楽しめるように、週刊誌・新聞等から旬の味を見つけますと、すぐに直接電話をして直送してもらうように努めました。その後も参加者が増え続け、バブルの最盛期には40人(平均参加者数は25人ぐらい)を超えるような時もありました。
バブル後も多少参加者が減りましたが、安定的に参加者があり(15人前後)、杉浦壽康会長年度に(1998〜1999年)準公式行事として認められるようになりました(予算はゼロですが)。ここで準公式行事として認められるようになったから、何か名称を考えろと言われ「芝蘭会」と付けました。この名称にもそもそもがあります。 ・・・つづき>>
|
|
|